脳。水槽。肉体。

少年①

おれの考える完璧な美少年というのが存在したとして、それは完璧な簒奪者であるだろう。

エロス的にのみ世界と関係し、自分の外のあらゆるものを失格させる。そんなことが可能な存在を、おれは完璧な美少年と考えているからである。

 

おれは美というものを、世界を歪曲させる力だと思っている。

基本的に美は何らかの媒体を通して世界に作用するので、現実を直接脅かすことはないと見られているが、それが肉体を媒体にした場合どうなるか、ということである。

 

これは、確信から言うわけではないが、美少女では相応しくないのではないかと考えている。

それは女性の問題ではなく、構造の問題であって、仮に美少女がどれだけ傲慢で、放埒であっても、多くはそのままに世界の一形態であり、そこには歪みがない。

つまり少女には「変革」の可能性がないからである。少なくともこの道筋の上には。

ボヴァリー夫人は、ロマンに取り憑かれ、暴走し、やがて敗北する。

この敗北は、それ自体が変革である。なぜなら、敗北するということは、その存在は勝利者の対象に立っており、既に構造を脱しているからである。

ただしボヴァリー夫人は、フローベール自身の投影であり、文学的な偽装である。