脳。水槽。肉体。

革命なき世界で

三島由紀夫と芥正彦の討論を見て、寂しさを感じた。

 

芥正彦が三島由紀夫をデマゴーゴス(扇動家)としきりに揶揄して、これからの時代には街頭ブランキストやトロツキストのような連中が現れるようになると警鐘を鳴らしているのだが、結局それらは全然現れなかった。

三島由紀夫は死に、全共闘運動は跡形もなく消え去り、国家はナラティブを失い、空虚な、資本主義というシステムを維持するだけの経済動物が残った。

 

芥正彦の言うように虚構形態が支配したのか、つまり戦前の天皇を中心にした支配体制が、資本による支配に置換されたのか、といえば、それは違う。

資本は主体性を持っていない。その代わり、リアリズムと徹底して結びついている。

われわれのリアリズムが、資本を媒介物としてわれわれを支配している。

そこにはもはやイデオロギーも、軍隊のような暴力装置も必要ない。打倒する敵はおらず、悲劇はなく、全てが無味乾燥なリアリズムに吸収される。

 

山本一佐は、クーデターに逸る森田必勝を、「私にはまだ真の敵が見えていない」と言って諌めた。

見えるはずがない。

真の敵などいなかったのだから。